日中交流振興協会編集・発行
TOP2007年第2期
  
「食品サンプル」の歴史

★ そのルーツは1920年ごろまでさかのぼりますが、それは1つではなくて、同じような時期に日本の何か所かで、それぞれに違う生まれ方をしたようなのです。1つは東京のあるデパートが、関東大震災で全焼した直後の1923年に仮店舗で営業を再開したときのことです。手狭な食堂の混雑緩和と営業効率を上げるために、値段をつけた「飲食物見本」を展示した食品ケースを階段の踊り場に置いて、入口で食品切符を買い、席に着いたら食券を渡すという方式をとったそうです。それまでは、客がテーブルについてからメニューを見て、注文をするという方法で(現在もそのやり方は存在しますが)、時間がかかる上に変更や取り消しがあり、面倒なことが多かったことから考えられたアイデアで、この方式にしてから売り上げが4倍になったということですから、「飲食物見本」を使うというのは画期的なアイデアだったといえます。その繁盛ぶりを見たほかの百貨店や飲食店にもその方式が広がり、その5、6年後には、東京中に普及したということです。当時の「飲食物見本」が今でいう「食品サンプル」なのです。その東京のデパートの「飲食物見本」を作ったのは、須藤勉という人で、彼は人体模型ろう細工の仕事をしていた人です。仕事では皮膚病や人体の内臓などを作っていたのですが、そのような気持ちの悪いものを作るのに嫌気がさし、こっそり野菜や果物などを作っていたということです。デパートの食堂も最初は、本当の料理を見本として使っていたのですが、なま物はすぐに変色したり、ハエもたかるし、夏は半日もすると腐るので、デパートの食堂係だった人が友人の須藤さんに相談し、蝋で見本を作ってみたところそれが成功した、といういきさつだったのです。

もう1つは、1917年の京都です。島津製作所という学校の理科教材用の標本・模型製作会社があり、そこで「保健食 料理模型」なるものを作ったという記録があるそうです。それを作っていたのが、西尾惣次郎という人です。そして、その「保健食 料理模型」を見た人が飲食店で使おうと思い、島津製作所に注文が舞い込んだのではないかというのが、参考文献の著者の推測です。

そして、もう1つは、1932年大阪です。大阪に住む岩崎瀧三という人の家に奥さんの従兄弟が移り住んできて、「街でおもしろいものを見た」と言ったのがそもそものきっかけ。その面白いものとは食堂の飾り窓にある本物そっくりの食べ物の模型でした。岩崎瀧三は興味を抱き、「なにで出来ていた?」と聞きますが従兄弟にはわかりませんでした。しかし、岩崎瀧三はろうで出来ているのではないかと直感したそうです。そして、数日後、従兄弟がまた、「仲間に料理の模型の外交をやっている奴がいるんだ」と言います。その後、従兄弟はしばらく家に帰ってこなくなってしまうのですが、ある日ひょっこり、料理の模型を持って帰ってきたのです。実は、料理の模型の外交をやっていた仲間が、会社のお金を使い込んでしまい、模型の作り方や販売のノウハウを岩崎瀧三教えるから、埋め合わせるためのお金を貸してくれということなのです。そこで、岩崎瀧三は「この商売を企業化して日本中に普及させよう!」と決意したというのです。

この3人、当時はまったく面識もありませんでした。東京の須藤氏と京都の西尾氏に関しては、同じような時期なのに自分以外にも同じようなものを作っている人間がいることすら知らなかったということです。まだ、テレビもなく、今のように交通も発達していなかった時代なので、当然と言えば当然ですが、同じ時期にまったく離れた場所で同じようなものの需要が発生したのは不思議なことです。岩崎氏と須藤氏に関しては、第2次世界大戦後、大阪の岩崎氏の会社が東京進出したときに岩崎氏が須藤氏を表敬訪問して会ったということです。そして、名前も当時は「飲食物見本」、「食品模型」、「料理模型」とそれぞればらばらに呼ばれていたものが、いつからかはっきりはしませんが、現在は統一して「食品サンプル」と呼ばれるようになりました。

「食品サンプル」は何で出来ている?

★ 生みの親のひとり、須藤氏の場合は、「パラピン(蝋の一種)、ステアリン、木ろうなど5種類ほどのろうを、その特質を生かして調合し融かす。型に流し込み冷えたらとり出して、容器に固定する。そして最後に実物と照らし合わせながら油絵の具で彩色するのである。最近はプラスチックやビニールなども、部分的に用いて本物らしい感じを出す」と、インタビュー記事の中に記載があるそうです。西尾氏の場合は、初めから寒天で型をとる方法をとっていたそうです。岩崎氏の場合は、最初はパラフィンを溶かし、料理の実物にかけ流して型をとる手法を試みましたが、へこんでしまって失敗。そして、ゼラチン、寒天、石膏と試してみて、寒天で型をとるのがいちばんよかったので、寒天を採用しました。しかし、型に流し込んで固まったパラフィンはとてももろく、すぐに壊れてしまいます。そのときの妻が思いついたのが、紙か綿くずで裏打ちをするということでした。やってみると見事成功し壊れなくなったということです。そして、岩崎氏の場合、須藤氏・西尾氏と違うところは、あらかじめ油絵の具をパラフィンに溶かして色をつけてしまうということでした。
基本的な作り方の工程を整理すると、
① 物の食品に寒天をかけ、固まった寒天から実物を取り出すと、そこに実物通りの凹型が出来る。
② 寒天の凹型にろうを流しいれる。
③ ③ 余分なろうを流しだし、脱脂綿などで補強する。
④ ④ 型からはずし、絵の具で着色する。
岩崎氏の場合は②の前に、絵の具をろうに融かし混ぜるわけです。現在も基本的には岩崎氏のやり方を踏襲しています。さらに④で、よりリアルに見えるように、焦げ目がついているような色づけをする等の最終仕上げを行います。また、近年、型どりには寒天に替わりシリコンが、ろうの代わりには樹脂(プラスチックゾル)がといったぐあいに新素材が使われるようになりました。樹脂を使う場合は、冷やし固めるのではなく、オーブンで焼いて固めるところが違います。細かな作り方も、次々と工夫が加えられ、変化しています。初期には本物のご飯を皿や丼に盛り、それを丸ごと型どりしていたのですが、今は樹脂製のご飯粒が作られていて、それをボンドで固めて盛り付けるのだそうです。それによって、さらに緻密でリアルなサンプルが出来るようになり、店頭には、香りしないのが不思議なくらいの本物そっくりな「食品サンプル」がいっぱいです。

現代日中「食品サンプル」事情

★ 現在日本では、どちらかというと大衆的な飲食店に「食品サンプル」があり、高級な店には、ないところもあります。中国では逆に高級レストランなどでしか見かけません。日本と中国が違うのはちょっとおもしろいですね。これからは、中国でも外国の料理も増えてきて、さらに「食品サンプル」の需要は高まるのではないでしょうか? 中国にも、日本の「食品サンプル」作りの技術が輸出され、中国の食品サンプル製造会社も増えてきています。日本の「食品サンプル」はおもしろいからと、日本観光のお土産や記念に買って帰る外国人も少なくありません。最近は玩具店などにも、食品サンプルのミニチュア玩具が売られていますが、本物がほしいなら、東京では台東区のかっぱ橋道具街(浅草、上野近く)に数件、大阪では、大阪市交通局、南海の難波駅すぐ近くにある道具屋筋に数件、買える店があります。

また、サンプル作りの体験が出来るところもあります。それは、岐阜県の郡上八幡というところ。実は「食品サンプル」を生み出したひとり、岩崎瀧三氏のふるさとが郡上八幡で、第2次世界大戦中、ふるさとの郡上八幡に疎開して製造をしていました。そのときに岩崎氏の下で技術を身につけた人が何人も独立して会社を興して、今では郡上八幡の地場産業と成っています。そして、サンプル作り体験を出来る工房も出来ているのです。日本に来るチャンスがあったら、「食品サンプル」作りも、行程に組み入れてみてはいかがでしょうか?

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